「よくあること」はそれほどよくあるわけじゃないかもしれない話

友人のブログで、とても興味深い論文が紹介されていた。

ところで,アマチュアからプロに至るまで,研究者はみな「読んでもいない論文について堂々と語る」のが得意だと思う.英語で申し訳ないけど,以下の「科学論文に載ってる参考文献は,実のところどれぐらい読まれているか」を調べた論文の概要を読んでみて欲しい.

We report a method of estimating what percentage of people who cited a paper had actually read it. The method is based on a stochastic modeling of the citation process that explains empirical studies of misprint distributions in citations (which we show follows a Zipf law). Our estimate is only about 20% of citers read the original.

[cond-mat/0212043] Read before you cite!
敗者復活 - kyoun

(リンク先を本家 arXiv へ変更)

arXiv のページに飛んでみると、この論文は Complex Systems 14, 269 (2003) として出版されたものであると分かる。僕が所属している研究室は Complex Systems を購読していて、この論文が載っている号も無論あるはずなので所蔵されている本棚へ行ってみた。すると、なんということか、当該号 である Volume 14, Number 3 だけ抜けていたのだ。付近を探してみても見当たらないし、今は学位論文を急いで書き上げなきゃならなかったりするので、それ以上没頭することは止めた。そしてふと思った。「なんか、こういうのよくあるよなぁ」と。

珍しいはずなのに結構頻繁に起こっている出来事に遭遇すると「よくあることだなぁ」と感じる。でも、これは本当に頻繁に起きているんだろうか?今回の「文献を取りに行ったけど欲しいものだけが無かった」だけではなく、迷信めいたことも耳にすることがある。「不幸が重なる」なんてよく言われるけど本当だろうか?本当に不幸は重なりやすいのか?

さて、正しいかどうか確認することはできないけど、ひとつの仮説を思い付いたので書いておく。実は、上述のような出来事は実際に珍しいのだ。本当に滅多に起こらない出来事なのだ。だとすると、なぜ頻繁に起きているように感じるのか?その理由は、それらが滅多に起きないので、それらが起こったときに得られる情報量が非常に高く *1、そのため強く印象に残りやすいのではないだろうか。たとえば、不幸は、それ自体が滅多に起こらないので、それが重なったときは相当強く印象に残りそうだ。

逆に、本当に頻繁に起きていること、たとえば「文献を取りに行ったらきちんとそこにある」や「不幸が重ならない」などは当たり前のことであって、もしそれが発生してもほとんど情報量を得ることはできない。だから印象に残らないのではないだろうか。

この件については、きっと過去に誰かが調べていて論文になっている気がするので、知ってる人がいたら教えてください。

*1:情報量は生気確率の逆数の対数である