測度論は名前が難しい

測度論は数学の一分野であり,ルベーグ積分や公理的確率の土台になっています.それだけでなく,一般に難しいとされており,ルベーグ積分や公理的確率を学ぶ上で障害物として認識されているように思えます*1.しかし,測度論は言われるほど難しいわけではなく,むしろ理論の目的さえイメージできれば用意に理解できるはずです.もちろん,集合論の基礎を必要としているため,ある程度の難易度は持っていますが,理解できないほどでもないでしょう.

では,なぜ測度論が難しく感じられるのでしょうか?それは,名前が悪いからだと思います.測度論の目的は,任意の集合に対して長さや面積といった実数を対応付ける写像である,「測度」という名前の「ものさし」を定義することです.ですから,「測度」なんて難しくて想像しにくい用語なんか導入せず,英語をそのまま翻訳して,「ものさし」って言えば良いんですよね.「ものさし論」で何がいけないのでしょう?

「測度論」を見聞きした場合と,「ものさし論」を見聞きした場合では,圧倒的に後者が,測度論の目的に接近したイメージを頭に浮べるはずです.そして,そうできた者は確実に測度論を理解できます.ですから,「ルベーグ測度」は「ルベーグのものさし」で良いし,「ハウスドルフ測度」は「ハウスドルフのものさし」で良いと思うんですよ.

測度なんて言葉を作って measure の訳語にした人は誰なんでしょう?

*1:ソースはありません.違っていたら訂正します.